わしが教えたる!父と娘の中学受験

塾に行くと遊んでくるだけになるに違いない小学5年生(2019年受験)の長女とけ(愛称)に,何を思い立ったか受験指導を始めて没入している父と娘の記録

ブログ炎上

 先日,とけちんのことなんかもうわしゃ知るかい的な投稿(感じたことをそのまま書くのが趣旨なので,情けないことながらいくつか同旨の内容を書いていますが)がプチ炎上(?)しました。

 ブログサイトのランキングに入り,アクセス数がいつもと桁違いになり,えらいこと手厳しいことばかり言われました。

 ブログを(たまには(いや,いつも・・か))勢いに任せて書いてはいけないという法はないように思うけど,やっぱ,勢いに任せて書くと,背景をご存じない方にはツッコミどころ満載の格好のネタになったんでしょう。

 ひー。怖かった。

 とけちんはその現象に興味津々で,寄せられたコメントを見せろというのですが,いや,それは止めとこな。

 見知らぬ人の悪意に満ちた言葉に触れるというのは,今する必要のない経験やで。

 しかしとけちん,なかなか引かない。

 どんなことが書かれてあるのか言えというので,父親失格とか,お前がだめになるとか,親が教えることなんか出来ないとか,子どもを居酒屋に連れて行くのはありえないとか,そんなことやわ,と伝えると,

 なにやら俄然張り切った顔で,「だって,学校にだって,裏サイトとかあるところがあって,こういうのって,いじめじゃん?訴えようよ。」だと。

 司法権を学習したとたんこれか(苦笑)。

 言い返さないなんて,わしらしくない,「へーん,あなたに子どもはいるんですか,いないんだったらお帰り下さいさようならー」などと稚拙な悪態をつき始める。

 否定的コメントをばっさばっさと切り捨てている感が気に入ったようだけど,ばっさばっさ片付けていくのは,お勉強の方の演習問題で発揮しておくれ。

 あんな,5年上でやったやろ?インターネットの双方向性。情報の取捨選択の重要性。今回の単元の表現の自由。そういうものにつなげて考えたらどうなるやろ?

 とけ,いや,公共の福祉に反している,という。

 あらまぁ,お勉強したことを早速使えるなんて,えらいわねぇ。

 でもな,憲法上の権利というのはな(国民と国民との間にも直接ではないにしてもその意味は及ぼされるねんけどな,それはさておきやで),特に精神的自由はな,公共の福祉の観点からの制約は,くれぐれも慎重にせなあかん。

 経済活動の自由については憲法の条文にあえて公共の福祉という言葉が入っているけど,精神的自由のところには書いてないやろ?

 思想・良心の自由は,それが内心に留まる限り,公共の福祉になんか関係ないぞ。誰が何を考えようと自由やろ?治安維持法の恐ろしさを思い起こしてみぃ。

 でな,表現の自由はな,そりゃ,他人を攻撃したらいかんというのはあるけどな,それでも,単に感想を述べたりするくらいは,許容されるべきもんや。差別的言論とは質が違うで。

 表現の自由はな,予習シリーズでは基本的人権を守るための権利とはちょっと切り離して説明されているけどな,参政権的な意味合いもあるねんで。だれもが自由に意見を言えて,それを聞くことが出来ることは,自分としての正しいと思う意見を持つことが出来るようになる不可欠の前提やろ?「知る権利」というのは情報公開法とかそういうちまちました法律によって守られるものじゃないし,マスコミとかの組織的な表現主体だけに担われるものでもないんやで。「知る権利」と表現の自由は,表裏一体やねん。

 

 おっと,そうや,とけちん。とけちんのこと,えらく誉めてくれている人,いはったで。

 「娘さんは優しくって少し気まぐれで本当に魅力的な方ですから受験を経てどのように成長なさるかとても楽しみです」やて。

 とけ,顔を真っ赤にして恥ずかしそうになりながら,とてもうれしそうでした。後で読ませたる。

 な。よくない言葉を見ているより,いい言葉の方が何倍も幸せになるなぁ。

 

 という話を,焼き鳥屋のカウンターで。また居酒屋に子どもを連れて行くなんて!と怒られるのかな。。我々の感覚では,特におかしくはないけどなぁ・・子どもの送別会も居酒屋でやったりしてるし・・。で,とけちん,大人になった感じがするからか,カウンターが好きで,どこでもカウンターに座りたがる。二人でカウンターで食べるのだから,いろんな話をしますよ。学校やお友達のこと。お説教はさえぎられるので,できません。カウンターで同盟国の結束を確認し,明日もがんばろうな,となるわけです。あかんかなぁ・・ま,必要な場なのだから,仕方がない。

 

 よっしゃ,今日も習いごと終わったら,週テ過去問,やろやろ!

 

 ↓ 我らに,強さを。