わしが教えたる!父と娘の中学受験

塾に行くと遊んでくるだけになるに違いない小学5年生(2019年受験)の長女とけ(愛称)に,何を思い立ったか受験指導を始めて没入している父と娘の記録

激しい葛藤

 合不合の結果を受けて,わたくしは,とけちんとのお勉強を続けていくべきか否か,深く悩むようになりました。

 親子でお勉強を一緒にするというのは,やはり,相当難しいことなのではないだろうか。反抗期ではないけど(というか,生まれた時から反抗期だったけど(まぁ!かわいいこと)),親だと素直に聞けないこともあるんじゃないか。そんなこと,当たり前じゃないか。

 真剣に教えようとすればするほど,こっちだって感情的になることもある。

 人間だもの。真剣なんだもの。感情を殺してお勉強をするっぽい環境を作るなんて,不自然やもん。

 塾に行かせたら良いんじゃないか。そのくらいのお金はある。家庭教師だって,付けてやることも出来る。

 それがとけにとって,最善なのであれば,もちろん,すぐにそうする。そうするのが親の務めというものだ。

 しかし,4年生で塾へ行っていて,成績は全く上がりはしなかった。宿題もしなかった。

 学校の宿題ですら提出しないずぼらさも直っていない。

 読書量の少なさと関心対象の少なさは,もはや巻き返しが不可能な程度に決定的なものにも思える。課題文章から発展して何かの事象を話題にする時,思いもよらないことを言いだして,愕然としたりもする。

 今から大手塾へ入れたところで,最下位クラスからの出発になり,良質な指導も,切磋琢磨するべきお友達と共に伸びていく環境におかれることもないだろう。

 ほどほどにお勉強ごっこをして,なんとか格好が付く中学校にでも入るのだろう。やり切ったという充実感もなく,「がんばった」というのはその程度のことを意味するのだと考えてしまうかも知れない。

 わたくしは,お勉強を教えることを通じて,お勉強の方法を教えてやりたかった。

 きちんと書いたり,分からないことを考えたり,理解するために頭をひねる楽しさ。

 算数の問題では,これは難しいな,ちょっと線分図でも書いてみたら何か見えてくるかも知れんぞと,共に考えて答えを導く機会も設けた。

 もちろん,中学受験に必要なスピードを身につけるために,典型的な問題については考えながら手を動かすべきだということも併せて指導した。

 整序して,論理立てて考えて理解していけば,どの教科だって,ものに出来るという達成感を感じさせてやりたかった。

 覚えれば良いものは覚えれば良い。理解したら良いものは理解したら良い。それだけのことだ。時間がかかるものは時間をかけたらいい。ちゃちゃっとやるべきものちゃちゃっとやればいい。忘れたら,もう一度,繰り返せば良い。そういう当たり前のことを教えてやりたかった。

 とけは,そのどれも出来ていない。お勉強のための姿勢が,何かを一生懸命にするという姿勢が,残念だけど,ない。

 今まで,これはやったという達成感を味わったものがないからだと思い,何でも良いから出来ることを作ってやりたかった。周りのみんなが受験する環境にいるんだから,その環境の中で受験をしないという選択肢はなく,そうだとすれば受験勉強の中で自信を付けさせてやりたかった。

 すねたりいじけたりして過ごしてきたけれど,そうしなければ自分を正当化できなかったからだろうから,正しく自己肯定感を醸成させてやりたかった。結果ではなく,経過を誉めてやってきたつもりだった。

 いつもそばで見ているからこそ,どこが出来ていて,どこが出来ていなくて,何を厭っていて,何を厭わせるべきでないかを,細かに見てとけちん向けオーダーメイドの,(聞いてくれさえすれば)ベストな指導をする自信もあった。

 しかし現実は,父親であるわたくしにべったりとなって,厳しさをいっそう嫌い,楽な方ばかりへ流れ,結果は,1年3か月を経て,四谷大塚の受験生の中の下にいる。「がんばろう」という姿勢は短時間しか続かず,書けなかったものを1回くらい書いてみようやというのも面倒がり,わたくしの解答をちら見するのが日常的になった。そんなこと,多少はええわいと思っていたけど,自分のために何にもならない行動を続けてばかりいるように思え,見ていてつらい時が多くなってきた。

 

 

 あと1年,一緒に走りたかった。

 とけちんも,口では一緒にがんばりたいというけど,手と頭は多くの時間あらぬ方向を向いている。

 

 とけちん。本当に幼い。幼く,愛らしい。幼く,いとおしい。

 なぁ,とけちん。おれはお前に,どうしてやれば良いんやろな。