わしが教えたる!父と娘の中学受験

塾に行くと遊んでくるだけになるに違いない小学5年生(2019年受験)の長女とけ(愛称)に,何を思い立ったか受験指導を始めて没入している父と娘の記録

こういう時期だけど,勉強方法を見直す

 とけちん,長い時間お勉強をしてはいるけれども,成績の向上はあまり見られず。

 主体的に取り組む姿勢を欠いていたのだから自業自得ではあるけれども,何百回それを言っても時間は取り戻せはしないし,いきなりできる子ちゃんになったりするわけでもない。

 しないんだけど,焦燥感はいらだちを募らせ,昨日ゆうたばかり(やったばかり)やんけとか,いやいやもう(同じこと50回くらいやってるんで)勘弁してくれよとか,これができひんのやったら理科は全部捨て問にせなあかんことになるやんけ(目標ゼロ点なんか)とか,否定的な言葉ばかりが口をつく。

 一段上を狙おうとやってきたけど,過去問を概観してみるだけで,とけちんに解けるはずもなかろうと暗い気分になり,頭打ちの感に否応なしに苛まれる。

 とけちんも閉塞感を感じるのだろう。どうしようもない「分からないことだらけ」の自分を,うそでも良いから否定してみようとするのだろう。

 レベルが上の過去問などをやるときには,エホンエホンとわざとらしい咳をし続けたりする。

 これは,イラッとくるけど,良くない精神状態を示すものであることは明らかだ。

 エホンエホンと咳をすることによって,自分はこの過去問を全力でやっているわけではない(なので点数が悪くてもそれは自分の実力を示すものではない。本当の「できる自分」は今日はお休みである)とでも言うかのような言い訳のような心情を自分自身や外部に示そうとしているのではないか。

 こんなのは,正しいお勉強ではない。

 適正な位置に座り直す必要がある。

 とけちんの正しい位置とは,年齢相応の子供が常識として知っていることもあまり知らず,平均的な読書量を経験せず,ただ,主に予習シリーズに載っていることを長い時間をかけてやっているので中学受験をする子ども達の中ではかろうじて真ん中あたりにいる,というところである。

 基本的な知識が危うい。鳥取が書けない(ことがある。盧溝橋は書ける)。

 基本的な理解(知識ではなく。例えば,「雲とは何か」とか)も危うい。

 他方,難しい学校の過去問で合格点を取ったりもする。

 バランスが悪く,いろいろなものの凹凸が激しい。

 

 座り直す必要がある。

 偏差値60をぐいんぐいん超えていくなんてことを考えるべきではない。

 偏差値50から60の間。ここらあたりをしっかりと踏みしめて,(できればできるだけ)上がっていく。ひとっ飛びには上がるはずはない。

 ばしばし過去問をやって,ばしばしレベルを上げていって,なので解き直しを要する問題がどんどん積み上がって,解き直しをするだけで非常に長い時間を要する,こういうのはもう,止める。正答率の低い問題はばしばし切り捨てる。全部完璧に解き直しをするのも疲れるわな。

 ただ,国語には時間を割く。特に解説に時間を割く。最終的には自分で答えにたどり着くような,時間はかかるし効率的でないと思われるような方法ででも,文章を読むという行為の本質を理解させなければだめだ。

 算数も理科も社会も,知識はもちろんだが,お勉強をするに当たって持っていて良い「興味・関心」に基礎を置く「理解」を重視するべきだ。

 

 お勉強の,中学受験の目的はどこにあったか。

 自己肯定感の醸成を最上位の目標としていたのではなかったか。

 エホンエホン咳をさせてどうする。本末転倒とはまさにこのことじゃないか。

 目を輝かせて取り組みたいというのであれば,過去問をやらせてやれば良いじゃないか。

 退屈な作業はもう良い。解き直しは,これでもかというくらいに小出しにしてやる。

 知識もこれでもかというくらいこまめに,少しずつ確認させてやる。

 覚えるものは,一緒に覚えてやろう。年表?上等じゃ。一緒に声に出して読んでいこう。

 理解。不足していたり覚束ない事柄は,毎日聞いてやろう。1分あれば1つの口頭試問ができる。紙に向かって整理された表現で説明できずとも良い。自分の言葉で良い。理解した内容を他人に伝えるという作業をさせてみよう。

 

 よし。わしは内心張り切って,でも張り切りすぎない感じでやってみる。

 そやからとけちん,お前も自然体で,自分の力を出し切れるようになるような努力の仕方を自分なりに考えて実践してみろ。

 そんでとけちん,お前の気分がまっすぐに前を向いたら,一緒にダッシュしよう。