わしが教えたる!父と子の中学受験

2022年受験の長男(ぽーやん)が麻布かどっかに入るまでのお勉強をがっつり後押し。2019年受験の長女とけは塾なしで乗り切りました。

国語の点数が伸びているのは

 ぽーやん,週テストの国語の点数がどんどん伸びていっています。
 これはそれは素直にうれしいことであり,よりいっそうの伸びを得るためにも,その原因を検証しておく必要があろうと思います。
 読解問題は,一旦解けるようになりさえすれば,あとはそれを維持するだけで良いのであり,次から次に新しい単元が出てくるものでもないですからね。何とお買い得な科目であることか。
 そういうわけで,観察・検討してみるに,点数が上がった原因の中核は,文章読解力そのものが向上したからである,というところにはないように思われます。
 残念ながら,文章を理解する能力は,もちろん上がってはいますが,それが点数を上げた主因ではないように見えます。
 むしろ,このところの短期的な点数の上昇の原因は,
① 設問への応答の仕方が身についてきたこと
② 抜き出しのコツが掴めかけてきたこと
③ 記述は,そのまま書いたら良い,というレベルでは臆することなく書いていること
にある(にすぎない)ように見受けられます。

 ①は,設問が,理由は何か,と聞いているのであれば,なになにだから,と答える。そういう類のことです。これは,読解問題に接する頻度を上げていることで自然とできるようになるものですね。
 ②抜き出しも,設問をよく読めば,どういう意味合いの言葉が入るかは分かるのであって,それに合う言葉を文中から拾ってくれば良いということが理解できてきてはいるようです。これも数をこなせば,というものですね。
 ③記述も,何といいますか,そう書いたところが出発点,というところまでせっせこ書くようになり,これも,問題をこなしていくうちに,書いてりゃ意外と当たるもんやな,という感触を得たようで,そこからどう言い換えてまとめ上げていくかが勝負,というところには至っていませんが,書くようになったと。

 要するに,問題こなせばやはり力は付くわけですね。
 当たり前と言えば当たり前ですが,解き直しをきちんとするというのも他の科目と何ら変わるところはありません。

 この間,線引きやら何やらやったりもしましたが(読解の解法の本を一緒に音読したりもしました。こういう本だって,日本語と言えば日本語ですからね。すごく時間がかかったけれど,わたくしも全然面白くなかった。。。),線引いたり印付けたり,そういうの,嫌がるので,まぁ,気に入ったら引いたらええやん,という指導にとどめています。正答できるのであれば線を引くのは不可欠の作業ではない。わたくしも,文章を読むときに印付けたりしませんし。
 ただ,解説をするときに,やっぱここに印付けておくと解きやすかったと思うけどな,と言ってみたりはしています。しかし,ここに印つけんかい,とまでは言いません。
 算数では,こういう問題ではここにこういう風にかかんかーい,というのが相当数ありますが,国語はそういう絶対的な「解法」はやはり見つからなかった(というか,存在しない。というか,存在するものは当たり前すぎる)。

 言葉は,えらく集中してやっています。
 ぽーやんは,言葉の勉強が一番面白くないようで,嫌がるのですが,がまんしてちょうだい。言葉を知らなくて文章の世界に入っていける道理なし。
 和語,熟語,カタカナ語,慣用句,どっさどっさ詰め込んでます。
 これは,じわりじわりと,文章を読む力それ自体を引き上げてくれている面が少しはあると感じられます。それはそれはたくさんある言葉ですから,ちょっと付け焼き刃な勉強をしたって即効性があるわけではないですが,これは継続していかなければならない。
 言葉というものが他の知識と異なり,大人と小学生との間に当然の格差があるものであることから,こんなんも知らんのかと思う頻度が増えます。教える側にとっても,つらい勉強です。 ぽーぱん,「下車」を,車から降りることではなく,車でブイーんと坂道を下るような感じでイメージしていたようです。ま,そういう場面には事欠きません。
 ぽーやんも,言葉の勉強は単調で退屈で面白がらないんですが,ちょっといくつかの言葉を強調して取り上げると,それが面白いと感じられればしょっちゅう口にするようになったりするので,なんとか面白い感じで続けていきたいと思います。他方,言葉の勉強なんか長々とやってられない,時間を短縮したいという思いもありますが,ま,4年生のうちだからこそ,時間をかけることができるのだと思って,言葉の習得には時間と労力をかけたい。
 言葉の勉強でさえ,ぽーやんの手にかかると理社の方向に持って行かれそうになるので,これに相当用心が要ります。

 読解問題,数をこなしていますが,ほとんどの問題について,音読をしています。
 一人で読んでみろやというのでは,何でやねん,お前も読めや,的な感じになってしまうので,1文ずつ交互に読んでいます。てにおははもちろん,一字でも間違いがあれば「あーっとー・・」と言ってやんわりと指摘し,言葉を知らないために区切りが悪いと思われるものについては,何度も読み返して,日本語の言葉と流れを体得できる機会になれば良いなぁという感じでやっています。
 もちろん,問題はわたくしも解きます。的確な解説するには解くのが一番だし,特に記述は,模範解答はこう予想されるけれども,ぽーやんにとってはこう書いた方がこれだったら自分にも書けそうだと思いやすかろう,という答案を作成することができますしね。
音読は,やはり,文章の理解を容易にし,当該文章に関する設問を解けるということになるだけでなく,文章一般を読む勘所のようなものが得やすいように思われます。大人がきちんと抑揚を付けて読むからこそ,文章というものが生き生きとしたものとして頭に入っていくんでしょう。そういう経験は,自分で黙読するときにも役立つに違いありません。いや,音読はやっぱり大事だと思いますね。日本語の言い回しに習うより慣れるという効果が明らかにあるように思います。

 難しめの文章の音読の繰り返しですが,現在のところあまりできていません。あまり面白くないというんです。
 しかし,背伸びした文章の音読の繰り返しには効果があるに違いありませんので,時間を作って付き合ってもらいたいと思います。
 ただ,この,ムズ文音読,ぽーやんは面白くないと言うには言うんですが,やってみると,読むのは確かに面白そうではないんですが,その文章の内容,たいてい社会科的あるいは理科的な事柄には強い興味を示すことがままあって,そっちの方に引っ張られ,ま,わたくしも付随的なことまでしゃべってしまうものですから,もう,国語の勉強をやってるんだか,社会の勉強をやってるんだか,分からなくなって,時間がものすごくかかる。これは,決して悪いことばかりではないんだけれども,やっぱり,時間がかかりすぎるのは困る。国語の勉強がぽーやんの手練によっていつの間にか社会の勉強になるのは,ホント,困ります。これに抗する術を完全習得せねば。

 こんな感じで国語,続けていこうと思いまーす。