わしが教えたる!父と子の中学受験

2022年受験の長男(ぽーやん)が麻布かどっかに入るまでのお勉強をがっつり後押し。2019年受験の長女とけは塾なしで乗り切りました。

国語の家庭教師

 国語のみ低迷を続けているぽーやん。
 国語は後に響いてくるし,できるだけ早期に一定の程度にまでは基礎を固めておきたい。
 しかし,国語の指導には専門的知見や経験,何よりも根気が要り,わたくしにはその資質がない。すぐにわっきゃわっきゃゆうてしまいます。
 ある程度まで上ってきてくれれば,ストレスなく指導できる気はするのだけれども,そこまでは早く上ってきて欲しいと思う反面,どうしても国語の指導は後回しになる。
 気を長くして根気強く指導するということは,本当に難しい。

 塾の集団授業は,(少なくとも国語については)ぽーやんにはあまり響いていないみたいに思える。

 そこで,国語専門の家庭教師の先生をお願いしようと思い,色々探してみました。
 あ,この先生良いかも,と思う先生がいらっしゃいましたのでお問合せをしましたが,さすがにこの時期,新たに受け持つ余裕はないとのこと。

 うーん,仕方がない。
 わたくしの現在の指導を継続するしかない。

 語彙の文章読み,要約,文法,漢字,読解。
 そりゃもう,時間がかかって仕方がない。

 機械的な解法などはわたくしは好みません。
 接続詞に注意を払うべきは当たり前だけれども,接続詞ごとに,前に線を引け,後ろに線を引け,というのは,ちょっと違う気が。
 文章を書く側にたって読んでいくのが一番かな。小学生には難しいかな。
 例えば論説文なら,人を説得するためには,反対的見解への一定の理解を示している振りをしつつ(「もちろんそういうこともあるだろう」とか「なるほどそういうのんにも一理ある」などと,反対説への配慮をほのめかせながら違うでしょというニュアンスも併せ持つ姑息な?言い回しを使い),反対説に反したり自説を根拠付ける具体例をこれみよがしに挙げ,えらい人や昔の人の言葉なんかを持ってきて権威付けをし,やっぱり,こうなんじゃなかろうか?と控え目な疑問の形を取りつつ,そうに決まってますでしょあなた,的な強引さで押し切る。構造はいたってシンプルである。だって,シンプルにしないと人に伝わらないもん。説得したいんだから,分かるように書かなきゃ。でも,構造はシンプルだけど,言葉を難解にしたがる人がいる。易しい言葉を使えば良いんだけど,自分の「造語」を披露したくてたまらない系の文章があり,分かりにくさ故に問題文に採用されることも多い。こんなものも,書いた人の気になって,こういう事柄とこういう事柄がこんな風につながっている現象を○○と名付けて,分かったような分からないような感じにしてやろう,えっへっへ,な気分を共有すれば良い。ま,できれば苦労はしない。
 物語文は,観察日記を書いてるんじゃないんだから,何かちょっとした出来事が必要だろう(難しい話であればあるほど,起こる出来事はとても日常的なものになる傾向が強い)。で,何かが起こっても,そんなことは読み手の感情に訴えてくるものはないはずで(隕石が落ちてきても,それだけどは物語にならない),起こったことから,人(主に主人公)がどう反応するか,それでどうなるか,に関心が集まるのは当たり前。で,その心の動きっちゅうのが物語文の核な訳で,そこを直接悲しいとか,超うれしいとか,そんな言葉を並べたてても幼稚すぎるから,そこはやっぱりこだわらなければならず,仕草やら,表情やら,ときにはあろうことかお天気の様子なんかでそれを表したくなりますでしょ?反対から見れば,人の心の動きを描きたいわけなんだけど,そのためのきっかけとして事件を起こしましょう,ということ。

 そういう目で見てみて,この文章はこういう風に書かれているなぁというのを解剖していくことを積み上げていけば,読解力はついてくるに違いない。
 そうやって文章を正解して正答に至るプロセスを,統一的な,ぶれのない指針をもって示すことができなければならないと思うものの,ついつい時間が気になり,丁寧さをおろそかにしがちになってしまう。傍線の理由なんて,すぐ横に書いてあるやんけ。彼は何々した。・・・のである,って。のであるっちゅうのは,理由を書くときによく使う言い回しなんじゃ,覚えとけっ。という感じ。

 必ずしも低調ではない算社理を一旦わきに置いておいて国語に注力するというのもありかも知れないが,他方で,国語力は他教科との相乗効果でのびる面もあろうし(地球温暖化を知っているのと知らないのとでは,それに関する文章への取っつきやすさに格段の差が出るのは当たり前だ),指導効果が短期間で実感できる科目をまず伸ばしていく方が効率的なのではないかと,そもそも国語をみっちりやるべきかやらざるべきかという時点で既に方向性がぶれにぶれてしまいます。

 結局,同じような逡巡を経て,まずは語彙を中心にすえ,その他も根気強くやって行くほかないとの結論に至るのですが,文意を問う最後の選択肢などで明後日方向の選択肢を選らんでみたり,抜き出しを字数のみにこだわって探そうとするやり方がなかなか抜けなかったり,記述を1文字も書かなかったりすると,をいをい,日本語で書いてありますのんよ,答えが,ほれ目の前に,といういやみっぽい口調にもなってしまいます。

 これではいかんと思っても,ふぃっとため息が出てしまったりもするのです。
 これが我が子でなければこうはならないかも知れないと思うと,なおさら,ちょっと家庭教師の先生にお願いした方がいいよなぁと思ってしまいます。

 しかし,家庭教師の先生に充てる時間も,そんなに確保できるわけでもない。
 しかししかし,国語を早期に何とかしたい。なんとかせねばならない。
 家庭教師の先生,個別指導の先生,ホント,お助けをーー