わしが教えたる!父と子の中学受験

2022年受験の長男(ぽーやん)が麻布かどっかに入るまでのお勉強をがっつり後押し。2019年受験の長女とけは塾なしで乗り切りました。

「自粛」せいよ

 受験に関係ないし,いろいろな意見がある中であえて自分の意見を言うことは軋轢を生む行為であろうけれども,ま,せっかくやし,言わしてもらいます。 

 昨日の格闘技大会の開催は,愚行であったというほかありません。
 多くの人のいろいろな努力を水泡に帰せしめる可能性のある行為を,要するに自分の金銭的利得のために敢行したわけですから,まぁそれは嫌悪の対象となっても仕方がないです。
 自分のお金と公衆衛生への脅威を天秤にかけて,前者を優先させるなど,あってはならないことです。
 開催をせず,その後で補償を求めるのであれば求める(仮に補償がなされなかったとしても)というのが,分別のある大人のするべき行いでした。

 ところで,「自粛」というのは恐ろしいものです。明文化された法令諸規則は(比較的)明確であり,成立までに吟味もされる。行為規範としての適否,それを破ったときのペナルティーとの均衡がいずれもちゃんと検討され,人は自分の行動とその結果についての予測可能性を与えられる。
 しかし,自粛はそうではない。限界がない。そのくせ,自粛せぃや,と半ば強制される。強制の程度も,法令諸規則を破っても罰金などしか科されない例も多いのに,「自粛しない」ことに対してはどこまでも非難される。
 似たような言葉を聞いたことがあります。これは命令ではない。あくまで志願を求めるものである。
 なので,政治が「自粛」を求めるようなことは,少なくとも軽々しくあってはならないし,恒常的であってもならない。
 自粛自粛ゆうてすむんなら,ドロボーも飲酒運転も自粛制にしたらええわけですよね。

 しかしそれでもなお,昨日の格闘技大会は,それを「自粛」と呼ぶのかどうかといった言葉の問題ではなく,やるべきではなかった。行政から自粛要請がなされていたのにそれに従わなかったというのが問題なのではない。自己の利益のために誰にでも分かる危険を拡散させた,というのが問題なんです。やっぱ,社会に存在するものとしての責任を明らかに放棄したと非難されても仕方のない行為でした。

 インタビュー受けてる選手が阿呆に見えてきて泣けてくる。
 格闘家,せっかくかっちょええねんから,ちゃんと考えんと,もったいないで。