新型コロナウイルス禍は,世界中をただならぬ状況に陥れています。
世界を構成する人全員がその自覚を持って行動するべき時であることは,もう,さすがに理解されなければならないのではないでしょうか。
世界は,今,危機にさらされている。ウイルスによる直接的なそれ。これはもう明らかです。
またその危機は,人々の「分断」という副次的な厄を連れてくる。最たる例として,欧米ではアジア人を,アジアでは欧米人を阻害の対象にしたりする。今まで文明が築き上げてきた「相互理解」がまやかしのものだったのではないかとの疑いが持たれ始めている。
卑近なところでは,塾に行く行かない,という行動が「対立」の構造になっている。「嫌なら行かなければ良いだけだ」と問題は切り捨てられる傾向にある。
しかし,現在の問題は,「判断は人それぞれ」というものではないのです。
塾は,開講したままにしておかないではもらえませんか。
保護者は,子女を塾に通わせないではもらえませんか。
経済的な損失に「補償」があるとかないとか,行政がしているのが「要請」にすぎないとか,子どもが重篤化する例は少ない上に子どもが感染の拡大に寄与してしまうという明確なエビデンスは現在のところ示されていないとか,そういう議論は,事象の本質を見誤っています。
コロナ禍では人はみな不利益を被るのであって,誰も「補償」すべき責任などない。情報が一応豊富にある中で,行政の「指示」がなければ自らの行動を決することができないなど,愚かしい。子どもが感染源になるという明確なエビデンスはないが,そうであるとの蓋然性があるという限度においてこれを否定する専門家はいない。
人間の行動は,本来「それぞれが決めること」であるのは当然です。
しかし,現在の状況が「危機的」であるということは分かるでしょう?拡大のカーブを緩やかにしなければ取り返しのつかないことになる(少なくとも「かもしれない」)ことくらいは理解して頂けるでしょう?
そして,それに対して何とかしなければならないと考える人が少なからずいて,その考えがばかばかしくて話にならないものである,とまでは考えないでしょう?
そして,何とかしたいと考える人の願う結果が,そうしたいと思う人のみでは実現できず,社会の構成員全員によって初めて達せられる性質のものであるということも,お分かりいただけるでしょう?
自分はコロナウイルスは怖くない。分かりました。
自分は危険ではないと思っている。分かります。
だけど,コロナウイルスは危険なもので,その感染拡大が怖いとおそれ,あなた方に「じっとしていて欲しい」と懇願する人の声に,耳を傾けてやってはもらえませんか。
命令,指示,要請,懇請。その呼称や形式はどうだって良いじゃないですか。
隣人のお願いを,聞いてやっては頂けませんか。