もう、腹立つ、ぽーやん。
わしのこと、名前で呼び捨てにしたり、お前呼ばわりしたり。
おい、おっさん、などと呼び掛けてきたり。
いきなり〇〇にぎってきたり。
ま、憎めないわけなんですけどね。
ぽーやんの何と言いますか、姿かたちや全体の雰囲気の幼さが、はっはっは、このくそがきが何言ってやがる何しやがる、で済まさせるんです。
おい、寝るぞ、おっさん。
はいはい、この季節に裸で寝るのねぇ。かわいいわん。
うっせぇぞ、お前がはだか健康法とかって、健康に良いって言ったんだろうが。殺すぞ、てめぇ。あん?
あらま、そんな言葉づかいをしちゃだめよ。
あらあら大きな声でお歌を歌っちゃって。おれは鹿児島をつんざく波に捨てたーって、勇ましいこと。
みたいな感じで、自分は小5で親に張り付いて寝るとかありえへんわと思い、まぁこの幼子やい、みたいに慈しんでいられるわけです。
しかし、お勉強が絡んでくると、やつがちゃちゃっとやらないとこっちの時間も増える。
できないことが多くあると、こっちも一緒にやらなければならないことが増える。
一緒にお勉強することが趣味であるとはいえ、いつもいつもそんなに穏やかな気持ちで接してはいられない。
ちゃっちゃかやるべきところをグダグダやってたりごちゃごちゃな字を書いてたりしたら、かわいくはなくなる。
それで、もう、そりゃ、こっちの人間偏差値はずいぶんあれなもんですから、罵倒し倒しちゃうわけです。
お前、受かることはありえへんな。
わしが中学校の先生やったら、お前だけははじくわ。
この字を見ただけで、わが校に入る気がないのだと判断するね。採点するまでもないね。
お前は落ちるべきやね。
きちんと頑張っている子と比べて、お前が合格するとか、不公平やもん。
受かるべからず。
じゃ、そういうことで。
いやいや、これはあかん。
わしはぽーやんの絶対の味方でなければならんのに。
そうでないと意味ないですもんね。
ということで、ぽーやんのお勉強態度に沸騰しそうになったら、ぽーやんのことを孫であると思うことにしました。
孫というのは(世間一般に言われているところによれば)がきんちょの成長などに少なくとも第一次的な責任を負わなくていいので、無条件に穏やかになれると聞きかじったからです。
で、ぽーやんのことを、内心、孫であると思おうとしましたが・・・結局、
お前、受験舐めてんのかー!
っとなり。
人間偏差値が著しく低いわたくしでありますれば、父親偏差値は言うに及ばず当然仮祖父偏差値も低いわけですね。
そこに想到できないとは、軽率でした。反省します。
ばかみたい。
子は子。
孫じゃない。当たり前だ。
おれは分かった。お前をきちんといっぱしの受験生にしてやる。
お前も分かれ。お勉強中は、お友達ではない。厳しい父上である。
ゆうていることは当たり前のことばかりである。
丁寧に書け。
整理して書け。
拙速に書き始めるな。
やるときはまじめにやれ。
無駄に時間を費やすことはすんな。
その言葉を、少しの敬意をももたなくていいから、せめて正しく受け入れろ。