わしが教えたる!父と子の中学受験

2022年受験の長男(ぽーやん)が麻布かどっかに入るまでのお勉強をがっつり後押し。2019年受験の長女とけは塾なしで乗り切りました。

子どもの指導の根本を反省しかけて

 毎日毎日、鉄板の上で新しいたい焼きを焼くように、毎日毎日新しいことを詰め込んでいかなければならない、5年生のこの時期。
 どう考えたって、詰め込む以外にない。
 理社に割くことのできる時間を考えると、もう、ええから頭に放り込め、となっちゃう。

 結果、がくてつふうた(1872年。学制、学問のすすめ、鉄道開通、富岡製糸場太陽暦)であるとか、
 しんかんせんはかりあげだ(深成岩、カコウ岩、センリョク岩、ハンレイ岩、火山岩リュウモン岩、アンザン岩、ゲンブ岩)
 みたいな語呂合わせに頼らざるを得なくなってくる。

 これが学ぶということなのか。。
 疑問が生じてこないわけではない。
 
 ある人の言葉が思い起こされる。
 大切なのはどれだけ多くを与えたかではなく、それを与えることにどれだけ多くの愛を込めたかです。

 教育というものもそういうものであるかもしれない。
 どれだけ多くの知識を与えたかではなく、どれだけ愛情を注いで教えてやったかが大切なのではないか。
 
 しかし、そうはいっても、これらを詰め込むしかない。
 今は、多くを教えることが、多くの愛情を以て教えるということと同義であると割り切らねばならぬ。

 新幹線は借り上げでも刈り上げでもええねん。
 さっさと頭にねじ込め。